日本茶 宮島 彌眞心 山本繁穂さん

利休の”わび”、織部の”へうげ”に「ウツクシキ」という美意識が加わった広島の茶道をさあどうぞ

人気の厳島神社からわずか1分なのに、この茶室の静けさとは!

国内・海外から多くの観光客を惹きつけてやまない宮島。その象徴である厳島神社から徒歩わずか数分でありながら独特の静けさに包まれているのが、ここ「彌眞心(やましん)」の茶室。築150年ほどの邸宅は、宮島の豊かな時代の名残を感じさせる蛇腹の木工細工も美しい明治初期の建築様式。「ようこそいらっしゃいました」と亭主の山本さんに迎えられ、茶室に入ると、聞こえてくるのは、「パチッ… パチ…」という炭が燃え、木が弾ける音。入室した瞬間に心が清められた気分を感じる。「この島は全体的に西向きの建物が多いんですよ(山田さん)」との言葉通り、室内には穏やかな陽が射してくるので、自然光の和らぎと凛とした空気のコントラストが刺激的で、日常生活の中で気づかぬうちに溜まっていた心身の澱(おり)がはきとられる気分になる。

▲「菊炭(きくずみ)」と呼ばれる美しい茶の湯炭(ゆずみ)を使う。茶道の真髄に触れられる

他派の茶人をも魅了する剛直な美しさ。秘密は戦国時代の知勇兼備の武士の心

彌眞心の茶道は、上田宗箇(そうこ)流という。茶道だったら千利休や、その弟子で焼き物でも有名な古田織部などが名高いが、この上田宗箇流がここ広島に根付いたのには理由がある。創始者の上田宗箇(重安)[1563-1650]は、人気漫画『へうげもの』にも登場している戦国時代の武人で、本能寺の変時や秀吉の小田原合戦、関ケ原や大阪の陣など名だたる合戦の最前線で戦った比類無き猛将だった。有名な武将を討ち取ったことも数知らず。敵陣に真っ先に切り込んで敵の総大将の首を揚げ勝敗を一気に結着つけた神業さえあったという。引退して僧になるが「その武略と人柄が惜しい」と浅野家が、自領・広島に招聘し還俗して重臣に抜擢された。広島に来ると今度は美しい縮景園を作庭するなど異才を発揮した後は、「わしが死んだら遺骨は砕いて瀬戸内海に流せ」と事伝えたなど瀬戸内と宮島を心から愛した気性だったらしい。そんな彼が立てた茶道は、一線級の武士の魂が宿るからか、所作が際立って美しい。馬の手綱さばきや弓を引く手の形を思わせるようなお点前、握りこぶしを床に叩きつけるような力強いお辞儀などは、その時代を知らない私たちには「武士の凄み」さえ感じさせる。「私も学生のころは別の流派をしていたこともありますが、この美しさに魅せられましてね」と亭主の山本さんも上田流を伝える一人におのずとなっていたのだと言う。利休の”わび”、織部の”へうげ”とはまた異なる「ウツクシキ」が体感できる2時間だ。

▲宗固が到達した美意識、それを体現する武士ならではの直線的な手の動き

茶道具には宮島らしさを感じる演出も。旅人の心をとろかす「一服どうぞ」のおもてなし

茶室の中をよく見ると、宮島名産の土鈴に杓子、茶道具も宮島細工にお砂焼きと、宮島づくしの空間であることに気づく。「遠くから来たお客様に宮島らしさを感じていただきたくて」という亭主の気持ちが顕れている。最近では一度訪れた外国人が感激して自国でも始めたというこの上田宗箇流。「禅宗がベースになっていますから自分の心と向き合う東洋流の癒しのひとときと感じ取られるのではないでしょうか?今流行のマインドフルネスとでもいうのかしら(笑)」と山本さんは人気の秘密をこう分析する。最近では別室で「杜仲茶(※)」を提供するなど、新しい取り組みもはじめている彌眞心。「杜仲茶は意外に知られていませんが、この海を治めた村上海賊にゆかりがあるんです。お帰りになる前に、よろしかったら一杯どうぞ」。うれしいお誘いについまた座り込む。明日への活力さえみなぎりそうな豊潤で名残惜しいひとときになりそうだ。

※ 連載中の有名医療系マンガの作中でも紹介された話題の健康茶

▲「どろっ」とした濃茶は口に含むと溶けたアイスのようにまろやか、だが……目も覚めるほどの苦さ

上田宗箇流 盆点台天目

山本 繁穂

広島市出身。短期大学保育科を卒業後、幼稚園教諭として7年間の勤務を経験。子育てのかたわら、義父経営のヤマシン商店(宮島)を引き継ぎ(有)ヤマシン設立。上田宗箇流と出会い、2016年より『宮島大茶会』を計5回開催。高校時代は、ソフトボールで県ベスト8入りするなど、体育会系な一面も。